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1984年版 印刷会社新喜劇

会社の書棚の奥から引っ張り出してきた椎名誠氏のエッセイが思いがけずおもしろかったので、立て続けに数冊、氏の古いエッセイを買い直してみました。しかも1970年代の後半から80年代のことが書かれているものに的を絞りました。
自分の本が置いていない書店では買わない…なんてケチな性分ではいけないのですが、ついつい今でも平積みにしていただいている地元の書店ばかりに足を運んでしまいます。

氏の話の中に、当時の仕事ぶりについて触れるくだりがいくつかあって、それがまた時代を反映していてまたしても深みにはまっています。
それにしてもマンションカンパニーでの創業期などは、きっとどんな会社でも同じようなもので、先の見えない将来を夢見ながら苦しみもがいている姿は、共感できるものがありました。いかにも楽しんでやっているように伝わってきて悲壮感を出さないのがいい。私はそうじゃなかった。


1984年。20歳の頃、はじめて正社員として働いた印刷会社のことを思い出しました。もう入社したその日に「ああ、なんかヘンな会社に入ってしまったあ」と感じることができたのです。
なにしろ、印刷物のできあがりを取りに来るほとんどのお客様を手ぶらで帰らせている。納期が全然間に合っていません。取り次いだ社員がスケジュールを答えられず謝っている。納期をずいぶん過ぎて何度か足を運んでいる方もいるようでした。
呆れたり怒ったりするお客さんを前に、社長の奥さんは「あのう、今社長はデムケテいらっしゃって、いつ刷り上がるのかわからないんですよおお」と言い訳で逃げる。しかも、微妙なイントネーションで「デムケテ」が「出向けて」であることに時間を要します。シロウトでもわかる間違った敬語なのは言うまでもありません。
社長の弟の工場長は、お客さんに納期を詰められると「う〜ん、お兄ちゃんに聞かんと何とも言えんもんでねえ。すんませんけど」と説明している。30歳は裕に越えたオッサンが、会社で、しかもお客さんの前で説明してるその『お兄ちゃん』って誰? みんな親戚?
そんな状況なのがわかりきっているからなのか、受付からすぐの位置にデスクを構える数名のタイプオペレーター(20数年前の安いページモノ印刷はDTPなどあるわけもなく、しかも写植でもなくてなんとタイプ打ちだった)のオバサンは、来客をなるべく無視している。
するといつも対応させられるのは、最長老の(だけど気の弱い)50過ぎのオバサン。このヒトは少しあがり症で、お客さんが少しでもイラつく表情を見せると、「それは‥‥あのう…アヒェあひぇアヒェあひぇ」と、間寛平のモノマネでもしているかのごとく、ナニを言っているのかさっぱりわからなくなってしまうのです。
今でこそ当時のネタとして笑って話せますが、当時、その現場にいるハタチの前途ある私としては笑えないわけですよ。


入社の翌週から、所ジョージ氏のTVCFでみた「リクルート就職情報」の定期購読者になりました。しかし結局、私はこの会社に2年間勤務しました。(つづく)


コメント (1)

サナギ:

椎名誠「さらば国分寺書店のオババ」

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2006年9月19日 01:21に投稿されたエントリーのページです。

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