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レッド・ツェッペリンとディープ・パープル

あれはたしか1979年。
丸坊主頭の伊藤秀一少年は、
14歳にもかかわらず、休みにアルバイトをしていた。
場末の小さな古びた小屋のタコ焼き屋で、だ。
店内の安普請なトランジスタラジオから
FM番組が流れていた。

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ビートルズと邦楽しか
興味のなかった少年のワシは、
この頃からどんどん洋楽ロックの洗礼を受けた。
KISS、QUEEN、Boston‥‥
マイシャローナで衝撃のデビューを果たしたThe Knack…、
しみったれたフォークもいいけれど、
とにかく外国のロックは
先進的なカッチョよさを感じさせてくれた。


クラスの女たちは、
沸きに沸いていたベイシティローラーズには
もはや飽きていて、
ザ・ベストテンに毎週登場する
ピンクレディの振り付けを覚えるのに必死になっていた。
‥‥とまれ。


タコ焼き屋に流れるFMラジオは
暑くて油臭くて多忙な時間を忘れさせてくれた。
タフな労働をする中学生は
ラジオに癒しを求めるしかなかった。


ある日の午後、
初めて耳にしたグループの特集にブッたまげた。
モーレツな速弾き。
ハードロックなのに美しい旋律。
少年には非常〜〜〜にわかりやすいカッコ良さ。
ディープパープルのHighway StarとBurn。
イチコロで虜になった。


当時、
エレキギターを買ったヤツの誰もが、
そのギターソロに臨み、
挫折したヤツはギターを弾くことをあきらめた。
ディープパープルは、
ロックギタリストの誰もが通る登竜門だった。
…ま、秀一少年も
負け組の一人なわけなんだが…。


疾走するスピード感、
キーボードとギターの奏でるキレイな音、
耳に残る覚えやすいリフ、
メロディアスな速弾きソロなどなど、
ディープパープルの心地よさは、間違いない。
多くの曲がCMソングになっていることも
その証といえる。


ところが、
ちょっとオトナになると、
ストーンズだのツェッペリンだのフーだのと言い始め、
いやいやクリームだジミヘンだと
時代をどんどんさかのぼり、
やがて玄人なブルースの世界にたどり着く。


そーゆーの、
ワシ嫌いなんだよね。


いくつになっても
爆音で聴くBurnこそロック一の名曲だ!!!
パンクの始祖セックスピストルズをヨボヨボになっても聴き続けるぞ!!
KISSこそ真のエンターテイナーじゃあ!!!


‥‥と思っていたのに。


48歳を目前にした今頃、
70年代前半のサイケな世界の中毒になってしまった。
いまさらのLED ZEPPELIN。


途中で気持ち悪くズレるリズム、
和音になってるような、なってないようなリフ、
汚くてラフな音…な、はずなのに、
すべて絶妙のバンドアンサンブルに聞こえてくる。
自宅、通勤時、移動時、
ずっと中毒症状になって聴いてます。
ああサイコーのツェッペリン。


しかも、なぜだろう。
少年時代のワシはツェッペリンなどは
「古びた音」と、一蹴して素通りしていたのに、
30年以上も昔の
あのたこ焼き屋で鳴っていた油まみれの職場を
トランジスタラジオを思い出す
そしてワシ、今日で48歳。


仕事以外の時間には
この嗜癖から抜け出せなくなってしまいました。
ビョーキです。



※リンクは解散後の90年のPlant & Pageなんだけど。
このシンプルな曲と、二人の貫禄がサイコー。

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2012年11月 4日 00:05に投稿されたエントリーのページです。

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